本を味わう

読むと忘れるので本の感想とか・・・

谷崎潤一郎「幇間」

幇間とはなんと悲しき者だろう。
もしそれを生まれ持ってきたのであればこれこそ悲しき性と思わねばならない。

現代の道化は悲しい顔をメイクで隠し、ひょっとこの仮面を被れば誰でも笑いものになれる。

 

 

どこか麗らかな春をパステルカラーで描いたような風景。
花見線で演じる一人の幇間のろくろ首の道化踊りが淡々とナレーションのように書かれ、
河岸を換えて鬼事をしているところから物語は始まる。

 

 

ろくろ首の振袖衣装のまま男は小突き回され、からかわれる。
所作振る舞いの一つ一つにどこか可愛げがあり、可笑しがられ、太鼓持ちとしてはこれ以上ない素質。

 

まさに道楽の真髄に徹したもので、さながら歓楽の権化かと思はれます。

 

その言葉の通りに同じ芸者でも一つ位が下のように扱われ、尊敬や同情などを受けることが無く“温かい軽蔑の心を以て”彼に接し
彼もそれに腹を立てるわけでもなく、却って嬉しがるといった性分だった。

 

元々商売をしていても威厳は無く、本分をおろそかにして結局店を潰し

また、彼は女性にだらしない性分で、寝取られようが失いきれず、相手の男と3人デートやこき使われる始末。

女遊びも激しく、いつも女にしてやられ、年中ぴいぴいして居ます。

紹介文だけでも面白く自虐しそうだ。

 

放蕩の素質も幼いころから心得て

落語家を見ては「人間社会の温か味」を感じるといったもので笑いものになるのが性という

幸せな、ある意味不幸な人間として生きていくことになることと思う。

 

 

彼の最もたる哀れさは“催眠術にかかる”という芸を見せ始めたことからではないだろうか。

かける側にとっては優越感、

かかる側にとってはいかに滑稽に見せるか

見る側にとってはいかに可笑しなものか。

 

催眠術にかかるという狂言をいかに上手くみせるかにおいては彼に勝るものはないのでないか。
周りは彼を催眠術のかかりやすい幇間と信じるものばかり

 

 

女に甘く、道化になる彼が惚れたのは一人の芸者。

口説く以前に道化が勝り、肝心なところはいつもお預けられ、馬鹿にされたいという欲望が勝り、結局哀れに傀儡となり果てる。

 

 

どこまでも哀れな幇間は自分が傷つくことさえ厭わぬ奉仕者としてこれからも行くのだろう。

 

 

人を憎まぬものは本当に人を愛さぬもの
どこかで聞いた言葉が自分の中から浮かぶ

 

幇間

幇間